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不連続戦線に異状なし 黒川想介 (30)

今年は戦後70年の節目の年といわれている。終戦を迎えて5年目の1950年に朝鮮動乱が始まった。この動乱が日本経済に特需をもたらした。これを境にして、日本の経済は順調にすべり出した。動乱が終わっても軌道に乗った経済は拡大を続けていた。物不足が深刻な時代であったから、特にものづくり産業の活気は熱気と化していた。三大都市圏には工場が立ち並び、製品や部品をつくる工場ではいくら物をつくっても片っ端からはけていったから、働き手はいくらでも欲しかった。55年頃から金の卵といわれた中学校卒の若年労働者が大挙して三大都市圏へやってきてものづくりに従事した。東京オリンピックの頃には金の卵といわれた若年労働者の集団就職騒ぎも下火になった。高校進学が増えたからである。余裕のできた日本の経済事情は、ただ物をつくっていればいいという無競争から企業間の競争を意識する時代に入っていた。

競争の原理が働けばものづくり力が向上する。古来、日本に伝わってきたていねいなものづくり力は磨かれて経済大国に成長した。60年代・70年代には特にアメリカとの貿易摩擦は激しさを増し、日米経済戦争と呼ばれるほどであった。80年代に日本は輸出力に余裕すら生まれて債権大国になっていた。90年代に入って、競争の上に大の字がついて大競争時代という言葉が使われ始めた。当初は、日本のメーカー同士が国内市場や輸出市場で激しく競合していく様を形容していた。

80年代から始まっていた国内市場の成熟化は、それまで必要とされているものに対する需要の伸びの鈍化傾向を強めた。その結果、日本メーカー同士の大競争が起こったのだ。製品でも部品でもそうであるが、商品が市場に出てくる時は一定の利益を確保している。時間が経つにつれて販売数量は多くなるが、参入メーカーが増えて競争が激しくなり価格は下がる。次第に利益を圧迫してくるとデザインを変えたり、機能を追加して目先を変えた新製品を出して利益を復元する。このようなパターンが通用したのは大競争時代という言葉が世上取り沙汰される前のことであった。このパターンが崩れて大競争時代に入ると、競争をかいくぐって利益を確保するために経費や人件費の安い海外へ生産拠点を移しコスト低減を図った。製品メーカーだけでなく部品メーカーも同様に低コスト追求・利益確保のため、海外生産は当たり前の風潮となっていた。

21世紀に入ると情報技術の発展や新興国の台頭によって、日本メーカー同士の大競争から新興国メーカーの参入により地球規模のグローバル競争の時代になった。一部の企業では、グローバル競争に勝つために国内シェアアップから世界のシェアに目標を変えた。これらの企業は利益を確保するために世界規模の量産によって飽くなき低コスト追求をひたすら歩む道に入ったのである。

しかしグローバル競争時代であるのに日本企業は国内大競争時代に培ってきた競争原理をもってグローバル市場に入った。その原理とは低コストも然(しか)りながら、機能追加や機能アップで他メーカーとの差異化を図るというものだった。大半の企業は国内の差異化競争とグローバル市場での量産低コスト競争の二正面作戦を強いられた。そのため製品原価は割高となり、生産設備も高額になって製品コストに跳ね返ってしまった。現在、ものづくりの技術において世界有数の日本企業であるが、国内とグローバル市場を同一の原理で乗りきるには苦戦をまぬがれない。やはり市場の違いを洞察し顧客に合ったものづくりが求められることになる。

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