混沌時代の販売情報力黒川想介 60年代の販売方法にヒント

『一芸に秀でる者は百芸に通ず』という言葉がある。これは一つの分野で研究し鍛錬してその道を極めた人は、他の分野でも人並み以上に優れた活躍ができるものだという意味である。一つの分野を極めていく過程で多くの苦難を乗り越えて、多くの経験を積んでいくから、いろいろなことに精通できているのだ。変化の激しい時代にあって、何かアイデアはないか、新鮮な企画はないかと言われても簡単に考えつくものではない、何かおもしろい販売方法はないかと言われても、すぐに出せるものではない。

人は子供の頃から様々な経験をして育つ。社会に出ても多くの経験を重ね、それまでの人生で多岐にわたり積み重ねた経験が基礎にあるから、悩み考えているうちに、ふと思いついたりするものである。

現代では情報産業がもてはやされているが情報の大事さは昔からわかっていた。情報は昔から存在していた。それが産業となってきたのは垂れ流されていた情報を蓄積する技術、それも半端じゃない膨大な情報を蓄積する技術とその情報を伝える通信技術が発達してきたからである。

情報の蓄積が多ければ多いほど、情報を加工して情報自体を商品化したり、情報の載った物をつくることが可能になる。ほんの十数年前には調べものをするのは簡単ではなかった。今ではインターネットによって蓄積されている情報をいとも簡単に取り出せるようになり、調べたいことはすぐわかる時代になった。

つまり情報の送り手がいなくとも情報がそこにあるのだから、それをとらえる受け手側の意識次第ということになる。情報収集するということは、そういうことだと簡単に言える時代になった。

膨大な情報の蓄積があり、欲しい人はいつでも取りにいけばいいほどに便利な世の中になった途端、情報が氾濫するという表現が使われ始めた。情報がそこに鎮座しているのでなく、河の水のごとく押し寄せてくるという意味であり、あまり良い意味で使われてない。情報の氾濫と感じるのは物やサービスを扱う販売に関することが多い。ユーザの気持ちを考えず半ば強引な販売手法になってしまっているからだ。知り得た見込客のアドレスに一つでも多くの物を売りたいという理由で、湯水の如く商品情報を配信している。

受ける側は当然、欲しくない物が多くなる。情報産業を自負する企業の中でもまだ情報化のなんたるかをわかってない未熟さが招く現象である。しかしこれも年月が経つにつれて、個人の情報が次第に蓄積されて、情報の質量が多くなってくれば、欲しいと思われる人にのみ配信する精度は上がってこよう、そうなれば情報の氾濫と感じなくなる。

それぞれの業界では情報社会の到来で、販売のスタイルを変えてきており、情報の質量の確保に従って変わってきている。

電気部品や制御コンポ営業は、技術者を相手に商品を売っている。特に、製造業の技術者やそれを取り巻くベンダーの技術者を相手に営業しているせいか、常に新しい部品・コンポは技術的に優れているというアピールの仕方で見込客にアプローチをしている。

これも一つの販売方法だが、そろそろ他の業界のように情報化時代の販売員が行う方法を追加しなければならない。変わっていくために販売員はどんな経験を蓄積し続ければよいのか、60年代である創業時代の販売のやり方にヒントがあると思っている。

(次回は8月8日付掲載)

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