業界を立て、私を滅する 薄味でも不可欠な「お出汁」的存在へ
「一線を画す」とは、一線を引くともいうが、「明確に区別する」「境界を区切る」という意味だ。曖昧にすることは便利で心地良かったりするが、万が一の際や答えを求められた際、責任の所在が不明瞭になりがちだ。その場対応を繰り返していくと、どこかで辻褄が合わなくなり、いずれ信用を毀損することにもなりかねない。できる/できない、やる/やらない、自分の立場を明確にしておくことは大切だ。
オートメーション新聞の立場を明確にしておきたい。弊紙は、業界紙である。ゴールは業界の繁栄であり、そこに向けてできる限り公明正大、公(業界)を立て、私を滅したスタンスで情報発信を行なっている。だからバズりを目的とした極端なアゲサゲや特定領域に情報を集中させたりもしない。また、私を前面に打ち出した極端な意見や論説を展開することも控えている。確実なソースのある情報を読者に提供するにとどめ、そこから先は読者が扱う領分。思考を巡らす領域まで立ち入らない。しかし正直なところ、色々と口を出した方がより尖った媒体となり、多くの関心を集められるのは確かだ。しかし、弊紙が立てたい、立てなければならないのは、幣紙またはどこかの誰かの私ではなく、業界全体という公。だから、できる限り私を滅して裏方に徹するのだ。
自分で作っておきながら言うのもなんだが、幣紙は薄味だ。薄味ゆえの葛藤に日々悩むが、逆に考えれば、薄味なのは「お出汁」だからなのだ。お出汁それ自体は薄味だが、味のベースとなって深みをもたらし、毎日口にしても飽きない。逆にないと物足りない。そんな存在こそが業界紙が本来あるべき姿であり、原始の形であり、作る側の醍醐味なのだ。そう思うと肩の荷も降りるし、やきもきすることも少なくなる。まわりの状況に踊らされることなく、淡々と信頼ある情報を数多く発信し、読者は日々それに触れていれば栄養になり、頭のトレーニングになる。そんな媒体を目指し、引き続き頑張っていきたい。