「下手なやつ」30年で低評価を覆した日本サッカーを見習おう 常に挑戦者たれ
先日、サッカー日本代表が、長い日本サッカーの歴史のなかで初めてブラジル代表に勝利した。「マイアミの奇跡」と呼ばれた1996年のアトランタオリンピックでの勝利から約30年、ついに悲願達成だ。とは言え、これはあくまで親善試合。しかも日本のホーム。次はW杯本戦、または敵地で勝利し、ブラジルと戦うこと、勝利することが特別ではない、本当の意味で世界の強豪たちと肩を並べる日が来るのを期待している。
かつてブラジルでは、サッカーが下手なやつは「japones(日本人)」と揶揄されたという。20世紀初頭に移民としてブラジルに渡った人々の頑張りによって農業や商工業に関しては「日本人=働き者」という高評価を得ていたが、ことサッカーに関しては正反対の最低評価を受けていた。それはブラジルに限らず、ヨーロッパでも、経済や商売は強いが、サッカーに関してはからきしダメだというのが当時の日本の評価だった。メキシコオリンピックの銅メダルや、奥寺泰彦氏、三浦知良氏など、時折、目ざましい活躍をすることはあっても、それまでの評価を覆すにはいたらなかった。1994年までW杯予選で負け続けたこともあり、日本サッカーは世界から嘲笑の的だった。それがこの30年で、W杯優勝5回、世界一のサッカー大国であるブラジルを破るところまで成長したのだ。その前にもW杯優勝経験国で、国内リーグも世界トップクラスのスペインやドイツを撃破しているのだから、これは偶然やフロックではない。日本サッカーは確実に成長したのだ。
この30年というと、製造業は停滞し、評価を下げた苦難の時期で、心が痛い。ただ日本サッカーは、世界と戦うために毎年、チャレンジを続けてきた。それが今年、大きな成果となって現れた。翻って日本の製造業はどうだっただろうか。高いシェアに安穏とし、または国内市場で満足し、挑戦を忘れ、危機感が欠如した結果がいまの状態だ。ただ、いま日本は大きく変わる節目を迎えている。再び「JAPAN」が素晴らしい製品、サービスの代名詞になれるよう、再びチャレンジしよう。
