オートメーション新聞N0.403を発行!24年度のFA・制御機器市場まとめや主要各社の24年度決算など掲載中

令和の販売員心得 黒川想介 (137)顧客やマーケットの現場 情報力で今後の動向把握

1980年代の半ば頃は、日本が半導体生産で世界一を誇っていた。この時期、電子機構部品の販売店は東京・秋葉原に集結していた。定かではないが、1人営業の販売店を含めると、秋葉原には1000以上の販売店があったようで、埃っぽく騒々しい街だった。半導体を中心に、電子部品の価格は足りない時は高騰し、ダブつくと非常に安くなった。当時は、この価格の高低と商品在庫情報をうまく活用するブローカー的な販売店が多かった。
この頃の制御系販売店は、FAメーカーに強い影響受けていたが、一方では電子機構部品販売店の荒っぽい価格決めの影響も受けた。日本は世界の工場と言われ、工場の新設や増設は相次いでいた。制御系販売店の間では、新規客の取り合いと競争が頻繁に行われた。その際、特価対応商品の横流しや諸事情で極めて安く仕入れた商品を武器にして新規客へ割り込むこともあった。
1980年代後半に起こった日本国内産業の沸騰期はバブルと言われたが、制御業界において「売上至上主義」的状況を呈した。メーカー同士、メーカー内部の営業セクション同士、チャネル販売店同士が対峙する様子は、戦国時代とまではいかなかったものの、秩序に収まらない事態は頻繁に起きた。
1990年代のバブル崩壊とともにFAメーカーは売上至上主義の変更を余儀なくされた。それに加えて、制御商品は精密さとスピード、通信性、複合化が一段と進み、販売店営業にも技術的理解やエンジニアリング的対応が求められた。こうしたマーケット環境下では、競合メーカーと対決を強化するために販売チャネルの再編成が実施された。メーカー内部では連携が強化され、販売店同士の争いにはメーカー営業が積極的に関与した。
1990年代はバブル期まで続いていた売り上げ急成長の名残があり、販売店間の顧客獲得による売り上げ競争の熱気が収まらず、顧客の取り合いや物件の取り合いは取ったほうが勝ちと言う風潮がまだ静まらなかった。そこでメーカーは、売上至上主義的営業から「情報」を優先する営業に変えた。つまり顧客で見つけた競合品情報や案件情報を1番早くメーカーの耳に入れて特価対応を認めてもらうことや、メーカーにバックアップしてもらうことである。当時はこれを「情報第一主義」と言った。
営業にとって売り上げは1丁目1番地である。その売り上げを支えるのは情報になった。営業がとらえる情報には、顕在情報と潜在情報がある。顕在情報は商談テーマの情報であり、セールス情報である。潜在情報はニーズやシーズからの情報であり、マーケティング情報ということができる。かつてFA商品マーケットが小規模であった頃、販売員はセールス情報と同じ位の熱心さでマーケティング情報も入手する役割を担っていた。
情報第一主義が唱えられた頃には、すでにセールス情報、つまり商談テーマ情報のみが販売員の情報入手の対象になっていた。それ以降は、販売員が情報に持つイメージや、情報入手に関しては、情報第一主義時代とほぼ同じである。
新しい商品作りやマーケットの模索に関するマーケティング情報は、メーカーのマーケティング専門部隊がその役割を担っている。この専門部隊と営業は、会議やその他の手段を通して、顧客情報やマーケット情報の共有をするといっても、セクション間の壁は高くなっていく。それよりも営業は商談テーマと言うセールス情報を追って、目先の売り上げをいかに上げるかになっている。情報第一主義時代から続く情報と言うイメージや、商談テーマの進捗管理作業が長い間続いたため、その間に作られた情報というイメージのフィルターを外すのは困難なのである。
しかしいつの時代でも顧客やマーケットの現場で何が起ころうとしているかを鍵出す情報力を販売員はないがしろにしてはいけない。